7/28/2007

ひと、死に出あう



ひと、死に出あう・週刊朝日










横尾忠則
この直感は肉体的な作用でもある。精神は常に変化し流動しているが、肉体感覚は「私自身」に忠実であろうとする。この「私自身」がぼくにとっては霊魂である。「私自身」は考えや理性から生じたものではなく、肉体と魂が結ばれて生じる「真の私」ということである。この状態がぼくに霊魂の存在を教えてくれるのだ。












邱永漢
私は自分が死ぬ時が現役を退く日と心得ているので、仕事がなくなる前に次の仕事をつくる永年の習慣を生かして、いまも忙しく世界中をとびまわっている。
中国では49歳とか、59歳とか、69歳とか、大台がかわる前の年が厄年である。











天本英世
「情熱の国スペイン」と言われるが、スペインは喪服と死の国である。その情熱は死への情熱なのだ。強烈な死があるから、生もまた強烈なのだ。今の日本では強烈な生もないのは当然であろう。


坂田誠
裁判を笑い、人生をも笑う。そのしたたかな笑いは、泣きわめくより、相手を恐がらせただろう。生には笑いがともなうが、死には笑いは似合わない。葬式の冷厳さがその象徴である。
笑いを失った時、人は自殺を考える。笑いを失わない人間は死をも笑う。笑っているうちは人間は死なないのである。
笑いが失われたところには死がある。日本の中で、もっとも笑いのないところは会社であり、そこに過労死なるものがある。


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